今と違って昔は美容学校卒業後3年、丁稚奉公をし3年働いたと言う証明書を提出して初めて国家試験を受ける資格がもらえます。
ちなみに今は卒業と同時に国家試験がもらえます。
実に良い事だとは思いますがこれが美容師が育たない理由の一つですね。
だって、三年我慢せずに、卒業と同時に美容師ですから。
この三年に丁稚奉公の間に、自分にあってる仕事か合わない仕事か見極める期間でもありますが。
さて、卒業後は美容室を転々としました。
大きい美容室から小さい美容室と・・・・・。
美容室は当時、最盛期で下っ端は汗をぼーぼーかきながら朝から晩まで シャンプー シャンプーシャンプー・・・・。
年下のクソガキにも偉そうに言われ、はい はい はい と言うのもだんだん嫌になってきました 🤬
元々、カットが上手になりたいとか、一流の美容師になりたかったわけでもなく、単純に「女が好き」と言う邪な理由で入った美容業界・・・・・。
まぁ 元ヤンキー!
それなりの人物に言われる分に関しては問題はないのですが・・・・・。
中身のない人間から偉っそうに言われるのは苦痛です・・・・。
10人ぐらいの美容室で、そこの先生が悪いワケではないですが注意された事に対し嫌気がさして、「うるさいわい!このくそババー」って言って辞めました。
ここでは、大きな美容室は自分は自分の性格上、向いていないと言うのが良く分かりました。
彼女の方は、と言えば卒業し同棲をずっとしてました。
すでに家族の一員でした。
この頃から規則正しい性格の僕は、合法な薬をすでに止められず、毎日使用してました。
そういった事に嫌気をさされ、婚約してた彼女にもある日、突然に出ていかれました・・・・・。
今まで女性にしてきた事を、この時、反対にされたのです。
心底信じていた人に、されると言う事は非常に辛く身をもって知りました。
そこから、自分の罪に気づき、うつ病になり美容師も辞めて職を転々とするようになりました。
まず、薬に溺れた理由の一つは「野球をやめた」と言う事であり、親も僕に当たる態度は今までと違うようになってました。
ちやほやされてるのが「愛情」と錯覚し「野球」がなくなればただの「人」で特別扱いでもなく、すべてが普通になります。
存在価値がなくなったと言うわけです。
今まで許されていた少しだけ横柄な態度は反感を買います。
野球選手の清原選手も、推測するに僕と同じ理由で薬が止めれなかったのだと思います。
親も野球一筋であったのが、挫折したので、よほど残念だったのだと思います。
今までは、キチンと御飯を作ってくれていたのに、御飯も買ってきたものに変わってました。
そのころには、落ちぶれた人間に変わり、薬とブランデーを「規則正しく」、ブランデーも、ほぼ一本、毎日飲んでました。
別に薬が好きでとか、お酒が好きでやっていたのではありません。吐きながらやってました。
いわば 自己嫌悪と現実逃避ですね・・・・。
話は前後しますが、もっと若い健全な頃に大量の下血をしたことがあります。
入院をしてたのですが、友達にビールと王将の餃子を大量に買ってきてもらい、個室で友達と盛り上がり、看護婦さんに餃子の差し入れをしました。
「誰が病院で餃子なんか食べるねん!」の世界ですね 🤑
すごーい!可愛い看護婦さんに手紙を書いてOKの返事をもらったんですが、当時付き合ってた彼女が病室のベットで隠れてるところをその看護婦さんに布団をガバーっとめくられてΣ( ̄ロ ̄lll)
ばれてしまった事もあります。
最低人間です・・・・。