この1週間どうやって過ごしていたのか聞いてみました。
電車の中とトイレの中の、話は書きましたが新聞屋さんで、住み込みのアルバイトをさせて欲しいと頼んでいたらしいです。
けど、未成年の為、親の承諾が必要でした。
半分拉致の形で、同棲をはじめ、家には家出同然で出てきていたので、そう易々と家に帰って会わせる顔もなく、どこにも行けません。
つくずく申し訳ない事をしたと思いました。
未成年で親の承諾が必要だ!と言われた時どんな気持ちだったんだろう?
と思い本当に自分の不甲斐なさを実感しました。
また、食べ物はと言えば、ほとんど食べる事はなく、水は公園の水を飲んで過ごしたそうです。
あまりにもお腹がすいたのでお金もなく
「ネギトロ」をスーパーで万引きしたそうです・・・・・。
それを聞いた時に、「あーなんて自分は最低な人間」なのかと
雷に打たれたように思い知りました・・・・。
この事件をきっかけに、すべての謎が解けました。
今までは、女性に対し愛情?をもらう事で自分の中のインナーチャイルドは満足していたように思います。
ひどい時は、朝 〇〇ちゃん 昼 〇〇子 夜〇〇美ちゃんと絶えず、誰か女性といました。
気をつかってもらったり、大丈夫?とか寒くない?とか暑くない?とか・・・・・・。
女性と一緒にいるだけで安心したのかもしれません。
そういった事で潜在意識の中の小さな、小さな僕は、錯覚の満足していたのかもしれません。
当時、思い出した事は、小さい時は、ほとんど おじーさんとおばーさんの所にいました。
それなりに、かなり楽しい日々でしたが、本当は寂しかったんだと思います。
彼女は、まだ16歳なので、当然、女性的な心配りや気遣いなどは一切ないです。 なくて当然です。
例えば、鳥に例えると こんな事を彼女にしてました。
大の大人の鳥が、高校生ぐらいの小さな鳥に「エサくれ」「エサくれ!」みたいな。
小さな鳥は、それに応えようと一生懸命しますが、どうやって「エサ」を与えて良いか分かりません。
また、その「エサ」もどんな類の「エサ」を希望しているかさえも分かりません。
けど「エサくれ!」「エサがわからないのか!」と攻め続けます・・・・・・。
当の本人自体どんな「エサ」が欲しいのかもわかっていません。
たまらず、私では無理!!と罪悪感を持ちながら去っていっても当然です。
ここで、ハッキリ分かったのは「愛」とはもらうものではなく「与えるもの」。
愛は与えるものであり、もらうものではないと言う事がハッキリとわかりました。