さて 待望の長男出産です!
逆子だったのですが普通分娩でどうにか生まれました。
嫁は当時18歳です。
順調ですが、ちょっとおかしい?とのことで産婦人科から救急車で市民病院に行き、そこで危篤状態になり子供病院にまた救急車で・・・。
救急車の中では、すでに虫の息状態でした。
色んなことが頭をよぎり世界が止まったように思え、そして世界が終わったように感じました。
一瞬、一瞬がスローモーションで動いたように思います。
子供病院で言われた最初の言葉は「今夜が山」です。
僕の両親が、僕が死にそうな時に聞かされた言葉と同じです。
助かっても親の認識は不可能です。
「覚悟して下さい」と言われました。
頭蓋内出血脳水頭症でした。
嫁には出産して当日の出来事なんで、心配しては(心と身体)によくないので黙っておこうかどうか、かなり悩んでおりました。
しかし、おかしいって言うのは『母親の直感』で感じとっていたみたいです。
そして嘘をつき通せるはずもなく、悩んだ結果、今の状況の真実を打ち明けました。
そして2人で1日だけ朝まで泣きました。
現実をしっかり受け止め、どんなことがあっても前向きであることを2人で、この時に固く誓いあいました。
こうなった原因は産婦人科で逆子をそのまま、普通分娩にしたために、脳を圧迫した恐れがあると言われましたが、分娩室は密室の為、証拠はございません。
幸い一命は取りとめたものの、脳に血液と水が溜まってる為に、だんだんと頭が大きくなってくるのです。
それを見てるのは、かなりの恐怖でした・・・・・・。
仕事をしていても、不安と恐怖が頭から離れませんでした。
そして子供病院で、わが子をガラスごしより見ること数ヶ月・・・。
なんと奇跡の生還で退院ができました。
頭は日に日に小さくなっていきました。
ものすごく嬉しい反面、気になるのはやはり、「パパと呼んでくれるかどうか」でした。
「もし」「もし」「もし」が絶えず頭をよぎります。
3才で『一級障害者』となりましたが、養護学校に行き訓練を受け、心配されていた「親の認識もできない」というものはなく通常の言葉も話すことができて良かったと思ってましたが・・・・。
この時点で、色んな事をクリアし障害者の認定も、はずれていたのですが・・・・。
保育園に行っていたのですが、やっぱり何かがおかしい?
これが普通の状態? 普通の子とは・・・・・。
初めての子供なので分からず・・・・・。
小学校に上がってから物の分別も少しは、つくようになったもののやはり何かが おかしい・・・・。
その間に、次男も産まれ、長女も産まれてました。
三人の子供に恵まれ、自営の方も順調でした。